今回は妻を結婚相手に選んだ理由を紹介する。決して惚気ではない。
と言うのも、私事ではあるが、先日婚約しており年内にでも籍を入れるつもりだ。
自分で言うのもなんだけど、俺が結婚をしたというのがおそらく周りからしたらかなり驚きだと思う。
そこで、これから多く聞かれるであろう「なんで結婚したの?」という質問に対して、あらかじめ回答を準備しておこうと思った。
(俺自身もこの感覚を忘れないように、現時点での理由を書き残したいと思った所存。)
ちなみに、「結婚した理由」ではなく「妻を結婚相手に選んだ理由」だ。似てるけど微妙に違う。
妻でなければ結婚しなかったと思うから、逆説的には結婚した理由にはなると言うのが正確な回答。
ここでは、補完的な要素・共通の価値観・相互理解の3つに分けて紹介する。
文鳥と暮らす在宅エンジニア yassan です。仕事の生産性や生活の質を高めるアイデアを共有しています。
補完的な要素(俺から見て尊敬できる部分)

まずは補完的な要素について。
補完的な要素は、俺が持ってなくて妻が持っているものを指す。言い換えれば俺がリスペクトしている部分だ。
頭が良い
シンプルに頭が良い。
妻は理系出身でとにかく数字に強い。暗算の速度は俺からしたら異常だ。
また、つぶしの聞く資格を2つも持っており、その気になれば資格を利用した就職も可能だ。
学力だけでなく仕事面でも評価が高い。
仕事の話は家庭でよくするんだけど、タスク管理の話や自動化の話がよく上がる。
アイデアだけでなく実践している様子で、生産性を上げるよう取り組んでいる。
また、コミュニケーション能力も高く、誰に対しても悪い印象を与えない会話ができる。
言わなくてもいいことは言わないし、主張するべきところは主張する。
変に揚げ足を取らないから、こちらも発言しやすい。
意図してやってることなのかはわからないけど、うまいことバランスをとっている。
一方俺はといえば、学力もコミュニケーション能力も高くない。周りからは義務教育を本当に受けたのかとすら言われるほどだ。
コンピュータ関連の仕事のない時代に生まれていたなら、完全に人生詰んでたと思う。
IQや基本的な学力で言えば、妻の方に軍配が上がる。2人でたまにカードゲームをして遊ぶんだけど、歴の長い俺の方が負ける。
人生にはこういった能力の高さが必要になる場面が、大なり小なりあるので助けてもらおうと思っている。
共通の価値観(両者の価値観が一致している部分)

次は共通の価値観について。共通の価値観は呼んで字の如くだ。
相手に合わせた価値観については次章で説明するので、ここでは偶然にも一致した価値観になる。
就業意欲が高い
2人とも就業意欲が高い。
適切なリスク範囲でたくさん稼いで良い暮らしをしようという意思がある。
就業意欲は結婚する上で大事だ。
1馬力と2馬力では世界が違う。少なく見積もっても世帯収入で年間数百万円の差が出る。
結婚するにあたって、1馬力の家庭になることは俺は望んでいない。よって、就業意欲の高さはとてもありがたい。
そもそも俺の基本的な思想として、小さい節約や我慢の節約を積み重ねる時間と労力があるなら、バイトにでも行って稼いだほうが費用対効果が高くメンタルにも良いと思っている。
動物が好き
2人とも動物が好きだ。
俺の人生における3つの目標があり、そのうちの1つが文鳥を飼うことだ。
今現在はそれが叶っており、文鳥を飼っている。
この先もずっと文鳥を飼い続けるのかは正直わからないけど、少なくとも選択肢は残しておきたい。
そのため、動物が嫌いな方とは残念ながら一緒に生活することはできない。
(苦手なものは誰しもあるから、拒否反応自体は否定はしない)
幸いにも妻も動物に明るい。
動物園や水族館なども行くことができるのはもちろん、家庭内で文鳥の世話もできる。
文鳥も妻のことを(俺以上に)慕っており、動物から好かれるだけのコミュニケーションもできている。
ホスピタリティ
2人ともホスピタリティがある。
自分で言うなと思うかもしれないが、客観的に見てもそうなんだろうなと思う。
なんとなく他人にはサービス精神を出してしまうというか、困っている人を無視できないというか、そんなところだ。
俺は過干渉な母親から育ったからなのか、妻は長女で双子の弟妹の面倒を見ていたからなのか、自然とそのような体質になっていた。
だから、家事分担を明確にしていなくても、家庭は回っている。
家計もかなり自由度の高い設計しているけど、家庭は回っている。
幸いだったのは、このホスピタリティのレベル感が両者で一致していたことだと思う。
と言うのも、相手に何かをすると言うことは、少なくとも自分の何かを犠牲にすることになる。
その犠牲を許容できる量が多分一緒ぐらいなんだと思う。一番大事なのは自分。
その他の価値観
上の3つ以外にも共通する価値観はいくつかあるので簡単に紹介しておく。
- 相手に依存しない:できるだけ相手に依存しないように努めている。協力や助け合いはするけど依存しない。
- 相手の善意につけ込まない:相手の善意を悪用しない。見返りを求めて何かをしない。
- 夫婦間以外の人間関係を大事にする:夫婦だけでは解決できない問題が必ずある。友達としか得られない体験もある。
- 否定しない:何かを始める時・決定する時にそれを基本的には否定しない。
- 改善できるところはどんどん改善する:良いものや考え方はどんどん取り入れる。失敗する時もあるけど、挑戦してみる。
相互の理解(俺の価値観に対する理解・妻の価値観に対する理解)

最後に相互の理解について。
これは、価値観が一致しているわけではないが、一定理解をしていて許容していると言う部分だ。
ここで書くのは、妻に理解してもらっている俺の価値観について取り上げる。
職業不安定
俺の職業はITエンジニアだ。キャリアは7年目にして、3回転職をしており現在で4社目になる。
今は転職という選択肢をとっているが、今後はどうなるかわからない。
フリーランスになるかもしれないし、起業するかもしれない(してみたい)。
何が言いたいかというと、俺の職業はめちゃくちゃ不安定だということだ。
俺の意思によって職業やポジションを変えることはこの先可能性としては十分にある。
妻にはこの志向を理解してもらっている。
子どもに対する考え方
俺は子育てをしてみたいと思っている。
が、正直なところ自分の子どもは自分と血が繋がってなくても良いと思っている。
生物学的雄としてはあり得ない思考なので、俺はDNAのどこかがバグってるんだと思う。
なので、不妊治療に多額の金額と労力と時間を投下するくらいならば、施設から引き取って育てたいと思っている。
別に社会のためとかは思ってなくて、単純にそっちの方が俺の思考とマッチしているから。
妻もこの思考に完全同意しているわけではないが、理解は示してくれている。
子どもに対する方針は上記で進めてもOKとしてもらえた。
「何がなんでも自分たちの子どもが欲しい」というスタンスを否定するわけではない。
あくまで、俺はそうは思わないと言う話。
子育てに対する考え方
子ども続きでなんだけど、子育てに対する考え方だ。
一言で言えば、家族全員が良い方向に向かうようにしたいと思っている。
俺は俺のために人生をまっとうするつもりだ。
俺がやりたいことをやる。住みたい場所に住む。食べたいものを食べる。
「子どものため」に過剰に貯金する。「子どものため」に良い環境に移住する。
これによって親が我慢をしてしまうのは、俺は嫌だ。
こんなことを言うと無責任だと言う人もいるかもしれないが、それは極端に解釈しすぎ。
前提として、子どもが育つために十分な時間や投資は当然する。
ただし、それが親の自己犠牲によって生まれるものなのであれば、俺は否定したい。
家庭内の意思決定は総合的に判断する。
目標は子どもの幸せではなく、俺と妻と子どもの幸せ。誰かの犠牲はいらない。
総括

というわけで、最後に決め台詞のような素敵な締めくくりをしたわけだが、
あくまでこれはこれからの話だ。まだ何も実現していないし、何も始まっていない。
多くの先駆者たちが語る通り、結婚はゴールじゃなくてスタートだ。
結婚する相手に巡り会えたことは確かに幸せなことだけど、結婚=幸せになれる ということではない。
幸せになれるかどうかはこれからにかかっている。今後も良い関係を気付けるように対話・改善を日々積み重ねるつもりだ。